世の中があまりにも騒がしすぎて生きづらい話

HSP

昔からなんとなく生きづらさを感じていました。HSPという概念を知って、自分が強度HSPだと自覚してから、あらゆる情報が頭や体に入ってきてしんどくなってたんだ、と理解しました。生活しているとすさまじい量の情報が耳や目から入ってくるので、全身がゆっくり疲弊していきます。どんなものに騒がしさを感じるのか、私の主観で書きました。

テレビは情報量が多い

영훈 박によるPixabayからの画像

テレビはHSPの私にとって、ものすごい情報量です。

番組にもよりますが、登場人物や会話内容、演者の衣装や舞台背景、大きな声や観客の声と効果音などの音声、カメラワークや照明、番組の進行具合、文字、繰り返されるCMなど。

いっぺんにものすごい量の情報が目から耳から、休まることなく入ってきます

真剣にテレビを見てしまうと、脳みそや体がぐったりしてしまうので、何かしながら横目にじゃないと基本的には見られません。

あと生放送は、不安でドキドキしてしまう。司会者とかの緊張感みたいなのが伝わってくる気がして、これもちょっと苦手です。

テレビのつけっぱなしも注意する

テレビを見ていなくても、つけっぱなしにしておくことがしんどいときもあります。嫌でも耳から入ってきてしまうので、基本的にはつけていません。

かといって無音が続くと、その無音もちょっと怖かったりします。

小さなころに何度もみたジブリとか、内容を覚えているものは少ないストレスで見られます。

そんなわけで1人だと、テレビはよほどじゃなければつけません。

パートナーもこのことを理解してくれているので、音量などもよく気遣ってくれて、すごく助かっています。

これ家族やパートナーに、理解してもらえない状況だったら結構しんどかっただろうなって思います。

SNSも情報多いけど自分で選択する

Steve BuissinneによるPixabayからの画像

SNSは、本当に必要な情報のみに制限して見ています。

フォローしている人のリツイートも、非表示設定しちゃうことが多いです。

フォローフォロワー外で、人の悪口を楽しそうに書いている人は、秒でブロックします。

そうやって自分にちょうどいい環境をつくりつつ、SNSとは付き合っています。

SNSのニュース関係は基本的に見ません。悲惨なニュースが生々しく書かれているのを見ると、ものすごく引きずるので、気を付けています。

コロナのニュースとの付き合い方

感染が拡大して、悲しいことがたくさんおきました。思い出したくもない辛い出来事も起こってしまいました。

最初の頃こそ謎の病原菌が身近に迫っているゆえに、いろんなニュースを見たりしていました。

でももう最近は、苦しくなるので情報を収集するのをやめています

やるべきこと、マスクや手洗い、アルコールなど基本的な部分が習慣化したので、それ以上の情報は必要なくなりました。

どこの地域で何人感染者が出たか、その情報を聞くだけで、その地域にどれだけの人が住んでいるのかな、家族はどうしているのだろう、1人身の人なら仕事大丈夫かな、どんどん飛躍して、見知らぬ誰かのことを想像して胃が痛くなるからです。

そしてそんなことを想像したところで、感染者が治るわけでも減るわけでもありません

自分にできることをする

私は私にできることをして、身近な人を気にかけて、それだけで十分だと今は思っています。

自分は感染したくない、その気持ちもわかります。でもニュースをいくら見たって、感染リスクが下がるわけではありません

そもそも感染したいという人は、ほとんどいないだろうと思います。どんなに気を付けている人も、それでもかかってしまう時はかかってしまう。

どんな病気でも、すべての人にリスクがある。どんな病気でも、重症化すれば命にかかわる。

だからとにかく健康に過ごす。よく食べて太陽を浴びて、よく寝る。今はそうやって暮らしていくしかないなって思っています。

そもそも自分の頭の中が騒がしい件

Free-PhotosによるPixabayからの画像

子供のころからですが、どうしても常に考え事をしている状態です

何も考えない状態を保つことは、かなり難しいと感じます。

「マインドフルネス手帳」というやつを年始に買って、試すようにしていますが、これがなかなか面白いです。

いま、ここに集中する、って、めちゃめちゃ難しい。難しいけど、それがすごく必要なことだとも実践して知りました。

脳みそが騒がしくて仕方ない人は、マインドフルネス、ぜひお試しください。

個人的には座禅とかもやってみたい。

【まとめ】自分で心地良いほうを選んでいく

Gino CrescoliによるPixabayからの画像

HSPと付き合いながら、世の中の当たり前の方向で無理に生きていこうとすると、どうしても生きづらい瞬間が何度も何度も訪れます

しかもこちら側の悩みは、多くの人にとってものすごく些細なことで、どうでもいいようなことだったりもします。

「気にしすぎだよ」と言われ、それだけのことで振り回されて落ち込んでしまう、ふがいない自分にまたガッカリします。

わかってはいる。そんなこと、たったそれだけのことで、気に病むようなことじゃないことで、頭の中がいっぱいになってしまっていることもたくさんあります。

でもすぐにどうにかできることでもないのです。感じ方、考え方はそう簡単に変えられません

でも簡単には変えられないってわかること、だからうまく付き合っていこうとすること、が必要なんだろうとも思います。

理解を得ようとするんじゃなくて、自分で自分を認めること。相手は相手の軸があり、それに沿って生きていること。

生きづらくても、そんな状況とうまくつきあっていくこと。そしてなるべく穏やかに、生きていきたいものだなあと思っています。

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